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日々の気付き

捻挫からの自己理解

おはようございます!
ライトワーカーAkikoです。
今日のテーマは『捻挫からの自己理解』です。

完了しない捻挫

つい先日、重い腰を上げて整形外科に行ってきました。

三週間前にソロ登山をした際、下山途中の岩場で右足首をグキっとやってしまったのです。

足首を強く捻ってしまった自覚はないものの、受傷直後は結構痛かった。

昔から捻挫を繰り返す子供だったので、捻挫は慣れっこな私です。

3,4日も経つと捻挫の痛みも徐々に治まってきました。

そろそろトレーニングを始めようかと動き出すと、右足は違和感を知らせる警報を鳴らします。

「なんかいつもと違う」

受傷から3週間経つというのに、痛みと言うには大げさで微かな違和感レベルの異変を感じるのです。

なんかおかしい。
なんか気持ち悪い・・・

右足首へ特定の負荷がかかる度に、その異変を知らされるのです。

「気のせい。年だから治りにくいだけ」

ズキズキ傷み続ける訳でもなく、痛みや違和感もすぐ引きます。

「もしかしたら剥離骨折してる?」

左足首に比べると、なんだか腫れてる気もしないでもない。

「ダメ」と「大丈夫」を行ったり来たり。

「病院に行く」「行かない」の思考のループがそこから回り始めます。

それは30年前から変わっていなかった

大学の入学式は左右どちらかの足首にギプスを付けて臨みました。

その時もきっかけは捻挫です。

捻挫したのに軽い痛みだからと動き回ったおかげで、
結果剝離骨折しました。

なまじ捻挫経験が豊富だったばかりに、誤った自己判断をして骨折したパターンです。

私の大学生活はギプスを足に嵌めてのスタートとなりました。

今回の捻挫に関しても、
捻挫から骨折に至った過去の最悪な出来事が思い起こされ色んな不安が湧き上がります。

だったら早く病院に行け!という、傍から見れば単純な話しなのですが・・・

自分のこととなると不思議と正常な判断が出来なくなるのが人間です。

病院は混んでいて待たされるという記憶と思い込みがあります。

その割には短い診察時間

そう思うと私の貴重な時間が取られるのが悔しい。

一方で、
この3週間、何度となく右足首のことを考えてきた。
右足首のことを考えた時間を合計したら何時間になる?

そんな自己ツッコミはそっと脇に置いやられます。
都合よく、やらない言い訳を作り出すんですよね~(笑)

さて、頭の片隅を占める右足首。

あと少し様子を見ようと決断しても、次の瞬間無意識に右足首のことを考えている私がいる。

「これ、未完了になってるじゃん!!!!!」

突如 捻挫の放置が未完了になっていると気が付いた私は、
ようやく重い腰を上げて整形外科の門を叩くのでした。

診断結果の話し

「たのもう~」

とはさすがに言いませんでしたが、近所の整形外科を受診しました。

看護師さんの問診の後、レントゲンを撮って、先生に触診やエコーもしてもらいました。

結果は、
「骨は折れてない。靭帯の損傷だとしても3週間くらいから治癒過程に入るから大丈夫、6週間くらい様子見てみて。必要なら痛み止めの湿布を出しますよ~」

何よりも骨折していないことが分かって、一安心。

そうなると現金なもので、見える景色が一変します。

私の骨は折れてない!

これからが治る過程なんだ!!

運動も痛くない範囲でやってよい!!!

もしそれでも痛かったら、また受診して良い!!!!

ハッピーオーラ全開!!!!!

診察室での先生とのやり取りですっかり安心し、晴れやかな気持ちになった私は
妙な自信と幸せ気分を持つにまで至ったのです。(個人の感想です)

もっと早く受診していれば、いたずらに心配せずもっと安心して暮らせてたのにね・・・

私の捻挫は本当に捻挫なのか?骨折してないのか?

2週間近くモヤモヤしていた心配事は、土曜の午前中たったの2時間病院で過ごしたことで
なくなりました。

未完了項目の完了です。

未完了はなくなると、自分の見える世界が変わります。
自分の身に起こる出来事の捉え方すら変えるほどの力強さがあります。

そうすると、自分の状態や起こることを歪めずにありのままに把握できます。

これはまさに、自己理解じゃないかと思いました。

今回は捻挫を例にしてお話ししましたが、大きなことも小さなこともすべては同じなのだと私は思うのです。

足首はどうなっちゃっているんだ?という未完了を完了させると、
足首の状態の正しい理解が出来る。

大げさかもしれませんが、こんなことでも私が見る景色は変わりました。

これを人生に置き換えたらどうだろう?と私は考えます。

自分を正しく理解すること

小さな不快の種(未完了)は解決しないとワインの澱のように底にたまり続けます。

ワインを揺らすと沈殿していた澱がふわっと浮かび上がるように、
私たちの未完了も自分が揺れた時にふわっと浮かび上がります。

澱を含んだワインの舌触りが悪く不味いように、
私たちの人生でも澱に触れたときなんも言えない不快感を感じます。

澱は取り除かない限り何度でも湧き上がります。

私たちの無意識はその不快を取り除きたいから、無意識に自ら揺らして澱を浮かび上がらせるのです。

今日は捻挫を通して私の身に起こったことを、
未完了と自己理解という切り口で書きました。

人生系未完了、あなたにも何か思い当たるはずです。
未完了を見付けて自分でどうすることも出来なくなったとき、まずは誰かに話してみることを強くお勧めします。

ではでは。
ライトワーカーAkikoでした。

みんなが輝く世界のために。