DreamCatcher
私がもっと輝いて、そして女性を輝かせるために!!!!!
日々の気付き

受け取る・受け取らない問題からの学び

おはようございます☀︎
ライトワーカーAkikoです。
今日のテーマはコミュニケーションです。

事件は職場の廊下で起こった!!!


職場にダイエットしている方がいました。その方の素敵な変化をキャッチした私は「おっ!」とうれしくなって、それを伝えてあげたら喜ぶだろうなと思い意気揚々と話しかけました。

私「お顔がスッキリしましたね。素敵な感じです。ダイエットの成果が出てきてるんじゃないですか?」

同僚「いえいえいえいえ。そーゆーのいらないんでっ。自分が一番よく分かってますから」

私「・・・!?」
私「そそそそうなんですね・・・」

予測していなかった相手の返答に驚き、返す言葉が見つからず、そそくさと逃げるようにその場を去りました。

「なんで褒めてあげたのに受け取らないんだ!?」と相手を理解できず非難する気持ちがありました。

そして同時に、せっかくの言葉のプレゼントを受け取ってもらえなかった悲しさもありました。

相手は喜んでくれるはずだ、そしてもっとダイエットが頑張れるんじゃないか?といった、私の強い思い込みや勝手な期待、恩着せがましさが応援の気持ちの中に紛れ込んでいたようです。

その方は娘さんの結婚式を間近に控えていました。そのためのダイエットだと聞いていました。娘の晴れ舞台に母として特別な思いを抱き、ご自身も素敵な姿で出席するための努力をされているのだと思っていました。
お昼ご飯は、ヘルシーメニューにして努力している姿も見ていました。

お世辞ではなく本当に目の周りがスッキリ晴れやかな感じがありました。
だから思わず口をついて出た私の言葉なのでした。

なんで私の言葉は受け取ってもらえなかったんだろう?と感じた戸惑いは、一瞬悲しみに変わり、最後には相手を責める怒りにも似た感情になっていました。

言葉を受け取るか受け取らないかは相手の自由であり選択なのに、です。

今振り返ると、その方が受け取れる状況や言い方だったかは分からないし、その方との関係性が出来上がってないために受け取ってもらえなかったかもしれない。
もしくは、潜在的には私の自尊心を満たすための言葉でもあったことを見透かされた???

真相は謎ですが、責める気持ちや怒る気持ちがこのときに湧いたことは事実なのでした。

あなたもやってますから・・・

相手を責めておいてその実、私もお褒めの言葉を受け取らなかったことがつい先日ありました。

その日私は革のミニスカートをはいていました。お気に入りのスカートです。
黒のタートルネックを合わせ、てっぱんのコーデ。

その装いを褒めて頂きました。

この1,2年、似合う洋服が変わってきている自覚があり、体重もじんわり増加傾向。
でもそのスカートがはきたい!という気持ちがあり、食生活を整え運動もしました。
今ならはける?微妙??と、鏡の前で一人ファッションショーをやってスカートをはくかはかないか悩みました。
悩んだ挙句、やりたいことを自分でやらせてあげていないことに猛烈に違和感を感じ、Goを出してはいたスカート。

それこそ、並々ならぬ思いを持ってはいたスカートでした。

褒められたらうれしいはずなのに、「いえいえいえいえ(そんなことありません)」と同僚と同じことをやっていました。

かっこいい、素敵だと思われたくて選んだミニスカートコーデなのに、注目されたら急にこっぱずかしくなって、自信のなさがもくもくと湧き出してきました。
「もう、恥ずかしいので見ないで!」という気持ちでいっぱいでした。

見てほしいのに、見られたくない。
褒めてほしいのに、褒められたくない。
嬉しいのに、嬉しくない・・・

事件を分析してみる

これって、何だろう?この複雑な乙女心は何?と内省しました。

そして行き着いた答えは2つ。

表層的には、注目されること・褒められることに慣れていない私は、ただ単に恥ずかしかった。(愛いやつ)

深読みしていくと、私は自分をけなすことに一生懸命で、今の自分を認めることをしてこなかった、ということでした。

過去を振り返ってみても、容姿を褒めてもらったのに「そんなことありませんっ!」と怒り、そんなこと褒められても嬉しくないだの、容姿を褒めるなんて低俗だ!!!!!などと言い放つ。
そのことば自身を信じるのが怖くて、そんなこと言うのは罠だとか下心だとか大妄想大会が始まって不機嫌になったのでした。(ごめんなさい)

過去の私は自己不信の塊だったのです。

ポジティブな言葉をもらっても「私はそんなんじゃない」とか「まだまだ褒めてもらうレベルじゃない」とか、自分で自分をジャッジしてNoを出し、受け取らない選択をしてました。

それは「わたしはもっとすごいんだ」という自惚れがあったからです。
わたしはすごいので、こんなレベルで褒めてもらっては困るのです。

『私が私を認めてないんだから、あなたの言葉なんて受け取りませんよ!』

もはや、笑えてきます。

加えて「子供の頃に親に褒められて育っていないから、褒められることに慣れていないんだもん」と受け取れないのは育てられ方のせい、つまり他人のせいにしている私もいたのでした。

ありのままが認められて初めて一歩ずつの成長があるのだろうし、
親の子育て問題は小象の鎖!

すべては自分の選択!私が選んでやってきたこと。

同僚とのやり取りから、自分の自惚れや自己否定癖、何でもかんでも他人のせいにする癖を見てしまったのでした。

学びをどういかすか? 私!

この事件を深読みしてみて「またやってるな、トホホ」と思うと同時に、クスっと笑っている自分がいます。

私は1年前から、パーソナル・ファウンデーション(自己基盤)という学びをはじめ、どんな自分もまるっと受け入れる練習をしています。

受け入れがたい自分をよーく見て受け入れる努力をしましたし、受け入れがたい相手の何が受け入れがたいのかを言語化してみました。
今までの私だったら絶対に選択しなかったことも選択してやってみました。

受け入れ続けた先に、自分をクスっと笑えている私がいて、そろそろ行動を考えても良いフェーズに入ったと思っています。

3月終わりから早起き生活に切り替え、友達と会う約束をして、ブログも再開!

4月になって変化の兆しを感じているのです。

私にとって4月は数秘5の月。
5は変化とチャレンジの数字なのです。
流れに乗って、変化を楽しんでみます。

ではでは、ライトワーカーAkikoでした!

ご機嫌な人生は自分で掴み取る!!!!!