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ナースのお仕事

看護師を誇れるか?わたし

おはようございます!
ライトワーカーAkikoです。

朝刊を読んでいて、”誇る”という表現に心がぐっと掴まれました。
今日のテーマは『看護師を誇れるか?わたし』です。

職業 看護師であること、に思いを馳せてみた

朝日新聞朝刊に以下のような記事が掲載されていました。
製薬会社の経営企画部長である内田高広氏の言葉です。

私は、製薬会社のような「人の命に関わる産業」で働くことに誇りをもっています。

仕事力 2022 「自ら1歩踏み出す勇気を」内田高広が語る仕事、朝日新聞、2020-9-4、朝刊、p,14


えっ?って思いました。

命に関わる産業で働くって、看護師である私も同じです。

でもそれを”誇る”という発想、私には全くありませんでした。

そもそも ”誇る” という言葉自体、日常的に自分事で使いません。

私にとって看護師はお金を稼ぐための仕事、つまり単なるライスワークだと思っていました。
学校を卒業後 看護師となり、新人時代を何とか脱し、そこそこ仕事が回せるようになってきて、

看護師は天職だ!

そう思ったこともあるにはあります。

ただ、看護師である自分を”誇る”っていう思いはなかったのが実状で、
周りの人からも聞いたこともありませんでした。

そもそも、自分を誇るという発想自体が乏しいというか皆無です。

だから、
私と同じように医療を担う人が『そこで働くことを誇ります』という文章を目にしたことは、いささかのショックを伴って私の心を捕らえたのです。

まだあったか~、私のジャッジ癖 そして妥協

自己基盤を学んだ今だからこそ、看護師についてこう思えます。

看護師はやりがいがあって、女性が活躍出来る素敵な仕事です。
そして私もその一員として、日々仕事に邁進してまいりました。

ほんの数か月前までの自己基盤を知らない私は、看護師である自分を卑下していました。

慣れ親しんでしまった思考の癖で、他業種と比較して看護師を下にジャッジしてました。

比較対象の最たるは、医師。

医師と看護師では、そもそも業務内容の違いがあるにも関わらず、医師の仕事が上で看護師の仕事は下みたいな植え付けられた思いがありました。

医師の仕事は、患者を診察し、治療すること(診療)

看護師の仕事は、傷病者・褥婦に対する療養上の世話または診療の補助を行うこと


これは法律で定められた医師と看護師、それぞれが担う業務です。
どちらが上でどちらが下とかはなく、単に役割が違うだけのことです。

それなのに比較することがデフォルトな私はそのスイッチが入ってしまうと、
看護師の自分は医師に比べて下とか劣っているとかとやり出して、
終いにはだから私はダメなんだみたいな全否定の超極論に飛んでいってしまうのが常でした。

いつも自分にダメ出ししていました、はい。

こんな私じゃ駄目だか、こんな私じゃ幸せになれないとか……

ダメ出しの後は、” ねばならない思考 “がやって来ます。

自己啓発本を読んでは、良さそうなことを片っ端からやってきました。

幸せになるためには、成功するためには、こう “せねばならない” のです。

それこそ、トイレ掃除が良いと聞けば毎朝やったし、ポジティブシンキングが良いと聞けばネガティな気持ちをなかったことにして、無理矢理 “ポジティブです私” のようにやってました。

でも、大切なのはそういうことではなかったんですよね。

トイレを掃除は、小さな行動や心がけの集積で現実が変わっていく例えだし、

ポジティブシンキングであるベースには、

どんな自分もまずは受け入れるというベースがあってこそ生まれる状態だと理解しています。

当時の私は自分の素直な気持ちに蓋をしたことで自己否定がかえって強くなってしまい、
自分の良い面しか受け入れないという何とも不自然で歪んだ私でした。

幸せになりたい、良くなりたいという気持ちとは裏腹に、出来てない所を見つけ出してはダメな自分像を強固に作り上げ理想とはかけ離れた状態になっていました。

今振り返ると、憐れで可哀想過ぎます。

件の医師・看護師問題(!?)では、
収入の差は見せつけられているし、
仕事中に感じた(と思っている)医師からの圧や味わった理不尽さ等々で、
必要以上に医師への劣等感や無力感を感じてしまい、どうせ私は看護師にしかなれなかったみたいなヒガミ根性もありました。

生育環境もありますが、
思考の癖に強く影響している数秘8持ちの私としては、
”勝ち”に対する並々ならぬこだわりがあり、そして目に見えて分かりやすい力への執着や囚われがあります。

我がことながら、いえ我がこと故になかなか厄介な性分です。

無意識のジャッジ癖や自分都合の思い込み時代が長かったため、
彼ら(医師)の機嫌を損ねたら自分の仕事が立ち行かなくなるなるのではないか?という
不安や思い込みを常に感じていて、我慢や妥協を重ねていました。

仲良くしていただいた先生たちもいましたが、頼まれてもいないのに必要以上に気を遣って疲れていた面もありました。

医療現場で働くどんな業種も、患者さんを良くしたいという同じ目的で働くもの同士 です。
本来上も下もないのです。

何か問題があれば話し合って解決すれば良いだけの話しだし、
自分の居心地が悪ければ心地良く働けるように強くリクエストしたり、交渉すれば良かっただけのことなのに・・・

上とか下とかやった挙句、

長いものに巻かれて穏便に過ごそうとするあまり、我慢や妥協することとがデフォルトで
自分が一体何を望んでいるのか分からなくなっちゃってました。

コーチングを学んだら、看護師の自分を意識し始めた

看護師歴20数年。

看護師の仕事が好きで得意か?って聞かれると、
正直そこまで好きでもないし得意でもなさそうなんだけど・・・

仕事は出来る方でした(笑)

看護師時代のストレングスは、
責任感×達成欲×収集心×共感性ですから、看護師としてなかなかの素材であったのは間違いがなく・・・

私に担当された人はラッキーですよ!!!!!
とまでは言えないものの、
そんな風に考えられていたら、違った今があったかもしれません。

とはいえ、過去の選択の積み重ねの結果が今の私です。
そして、そんな私だったからこそコーチングに出会えたとも言えます。

40歳を迎えたある日、

ガムシャラにやった婚活も上手く行かず、やりたいことも分からず、でも今の仕事が辛くて辛くて仕方ないことだけは確かでした。

そんな時にコーチングに出会いました。

コーチングを受けていると、私が看護師だったことに気付かされることが度々ありました。

看護師である自分というのはあえて意識することではなく、何故だかすっかり記憶から忘れています。

コーチからのフィードバックを通して、

突如気が付くんです。

「あっ、そうそう私看護師です。」という具合です。

この感覚、不思議です。

何度かそんな場面に遭遇したことで、看護師である自分の輪郭がくっきりしてきました。

看護師である自分だからこそ出来ることや目を向けられること、過去の経験や体験に重きを置けるようになってきました。

だからこそ、このタイミングで”誇る”が響いたのだと思います。

このブログを書きながら、

私の看護師人生を振り返ってみると

その人生を誇れます。

だって、誰になんと言われようと、

私なりに心を尽くして一生懸命 看護師やってきましたから。

それは誰と比較することではなかったのです。

人生の折り返しを過ぎた私は、もう少し器を拡大させて 過去の看護師経験を活かしたお仕事をしたいと考えています。

常々言っている”ライトワーカーになる”を具体化して、トライするフェーズにいよいよ入りました。

これからどんな未来になっていくのかすごく楽しみです。

あなたはあなたを、あなたの仕事を誇れますか?

ではでは。
ライトワーカーAkikoでした。

みんなが輝く世界のために。